研究活動

日本の太鼓、世界のタイコ、日本の音、世界の音を知る

さて!皆さんは「太鼓」という言葉を聞いて、どんなイメージが浮かびますか?

お祭り?
盆踊り?
大勢でたくさんの太鼓を打つ人たち?

さとおと太鼓研究所では、太鼓というキーワードをもとに、時代、地域など縦横無尽に探求を続けてきました。
その一部をご紹介します。

1、組太鼓とは? KUMIDAIKO or KUMITAIKO

組太鼓というのは、創作太鼓とも呼ばれるジャンルとよく似ています。
複数の人々が集い、大小様々な太鼓を組み合わせて音楽を創り出すジャンルです。
今では「太鼓」というとこのスタイルを思い浮かべる方がとても多いと思いますが、実はこちらは日本音楽の中でも、最も新しいジャンルです。
ただし、もともとは、地域から消えてしまった「神楽」(かぐら)を復活させるところからスタートしたので、最も古いジャンルとも言えるかもしれませんね。
ともかく戦後の日本で、大衆の中から力強く華咲いた音楽形態です。

版画・イラスト:カトウタエコ

2、組太鼓の旅 太鼓の旅

さて、ここでは、一人の太鼓が大好きな女の子の旅を通して、皆さんと一緒に太鼓について追ってみましょう。
ここに登場してくる太鼓は、すべて私たちの研究所が今まで探求したり、現在でも研究所の中で探求を続けている太鼓です。

その女の子の住んでいた土地には、400年以上もその土地で受け継がれた盆踊りがありました。

こちらは、正確には兵庫県三木市口吉川町にある「篠原神社」という神社の写真です。
この盆踊りは、音頭(おんど)取りという方達が生で唄い(音頭をとり)、太鼓うちさんが小さな太鼓を打ち鳴らします。

400年ってすごいですね。
ともかく、その土地に受け継がれてきた芸能を女の子は小さな頃から聴きながら踊っていたのでした。

ここで使われている太鼓は、播州地域に特有の小さな太鼓。
片手で持って運べます。

もう一つ、女の子がいつも追いかけていた音は、お祭りの中の太鼓です。

この写真は、兵庫県の淡路島にある洲本市の博物館におさめられているものですが、このような屋根の部分に赤い布団のようなものが積み重なった豪華な屋台(やたい)、太鼓台、だんじりなどと呼ばれるものが女の子の住んでいる地域にもありました。
この中には、とても大きな太鼓が1台、ぶら下がっているので、この屋台が動くときには、音が鳴ります。

さて、そんな音の中で育った女の子は、自分も太鼓を打ってみたい!と思い、太鼓について回るのですが、、
当時は屋台の太鼓は男の子が打つ、と決まっていました。
そこで女の子は、太鼓が打てる場所を探し、とうとう大人の人たちが集まって沢山の太鼓を打ち鳴らしているのを見つけました。

これが組太鼓(くみだいこ)と呼ばれる音楽形態です。
写真は、私たちの教室が行われている淡路島のホール。
写真に写っている太鼓は田楽(でんがくだいこ)、桶太鼓(おけだいこ)と呼ばれている太鼓や締太鼓(しめだいこ)と呼ばれる太鼓ですが、中心となるのは、長胴太鼓、宮太鼓と呼ばれる太鼓です。
このような大小様々な太鼓を組み合わせたものを「組太鼓」くみだいこと言います。

さて、念願かなって組太鼓をはじめた女の子。
ある時、学校の音楽の授業で日本の太鼓と韓国の太鼓が一緒に音楽を創っているシーンを見ました。
こんなふうに音で世界の人たちと話ができるんだ!と知り、女の子は、プロの太鼓演奏家になろう!と決意します。

でも当時は、プロという意味がまったく分かりませんでしたので、
「誰か私にプロになる方法を教えて頂けませんか」と聞いてまわりました。

組太鼓を一緒に教えてくださっていた大人の皆さん全員に話を聞いてから、
図書館の本の中から、「太鼓」「たいこ」という字が出てくる全ての本を探し出し、そこに登場してくる人全員に手紙を書いたのです。
その中には、国立劇場や、大きな太鼓のお店、世界中を公演していた太鼓グループ、民族歌舞団(日本の伝統的な踊りや太鼓を受け継いで舞台にしている劇団)、祭りの中の太鼓を受け継ぐ人、プロの演奏家、色々な人がいました。

日本全国から届いた返事を手に、女の子の「日本・太鼓の旅」がスタートしました。

女の子は、出会った人に、
いったい太鼓のルーツとはどこにあるのか?
何種類の太鼓があるのか?など、沢山の質問をし続けました。

沢山の方々が自分がわかる範囲のお話をしてくださいました。
でも全てに答えられた人がいらっしゃらなかったので、女の子は太鼓のことなら、どんなことでも答えてくれる人をひたすら探して歩き続けました。

そして、出会った皆さんが教えてくださった組太鼓のルーツ、諏訪大社の太々神楽の伝承であり、組太鼓形式を生み出した「御諏訪太鼓」(おすわだいこ)に向かいました。
7年目に一度行われている諏訪の御柱祭の前日に、女の子は、諏訪に辿り着きました。
そして、初めて、すべての問いに答えて下さった先生と、
翌日から、手紙を書いた国立劇場の専門家の方々などに次々と会うことになるのでした。

この旅が、日本の組太鼓、郷土芸能の中の太鼓、祭りの中の太鼓、能楽、長唄、神楽、雅楽、、と発展していきました。
女の子は、のちに日本の和楽器、そして和太鼓の雑誌の記者となり、プロの演奏家の人全員が使っている楽器を詳細に記録。


和太鼓の全国大会もすべて見にいき、聴きにいき、どこの太鼓を使っているのか、どんなバチを使っているのか記録していきました。
また、日本各地の祭りや郷土芸能の中の太鼓を継承者の皆さんを訪ね歩いて探求していきます。

自らも太鼓を打ち、
乾燥したアメリカの地、
舞台がオペラ用に斜めになっているフランスの地、
日本と時差も少なく過ごしやすいオーストラリアの地、
湿気で金属打楽器が発展しているインドネシアの地などを次々と体験させてもらいながら、世界中の楽器形態についても学びます。


そこから中国、韓国、アフリカ、モンゴル、インドネシアなど世界中のタイコや打楽器がどのように継承されているのかに辿り着き、ネイティヴ・アメリカンの方々の「サンダンス」という日本の御柱祭によく似た祭りに参加することにもなりました。



また、日本の歴史を遡り、現在、音楽大学の中で教えられている音楽だけでなく、日本各地の中で受け継がれている芸能を一つ一つ訪ねていきます。
屏風絵や古文書も調べ、陣太鼓、田楽など、そこに掲載されている太鼓を次々と復活させていきます。


弥生時代、縄文時代の遺跡の中から発掘された楽器を調べるために、遺跡発掘作業にも関わり、祭祀のあとや、サヌカイトなど鉱物などがどのように使われていたのか、考古学の専門家の皆さんと一緒に探求します。


さらに人間のカラダのリズムに到達し、稲作、漁業、林業、酒造り、機織り、紙漉きなどの伝統工芸のリズムに辿り着き、米づくりをし、魚釣りをし、機織り、紙漉き、沢山の伝統工芸を受け継ぐ職人さんの元を歩き続け、自ら体験します。


そこから万葉集の「防人歌」の中の防人という仕事に辿り着き、和歌をたくさん学び始めます。
また、タイコだけではなく、音そのものについて探求を重ね、音楽科学という分野に足を踏み入れ、多くの研究者の皆さんのもとで学び始めます。
同時に、武道と体操のオリンピック強化選手であった師匠や、運動療法の医学博士でありスポーツ選手である父のもと、稽古の中に武道の要素を取り入れます。
また、日本や世界の楽器だけでなく、多くの発声法、舞踊なども全般的に学びます。

研究者の先生方、各分野の芸能者の皆さま、音楽家、作曲家の皆様に作品を委嘱することも始めました。


そして、天体のリズムに到達し、海と月と星がよく見えて、日本の海山郷がある地・淡路島で探求を続けることになりました。
このすべてが、この研究所に詰まっています。



■講師育成

当稽古場では、学校、施設などでプロフェッショナルとして指導ができる講師を育成しています。
和太鼓演奏者としてだけでなく、日本音楽全般、音楽科学、チーム引率、舞台知識、契約、著作権などの法律知識など多岐に渡って専門的に学び、和太鼓だけでなく、多くの和楽器、武道などの指導者の元、2年〜5年にわたる実地研修を積んでから独り立ちしています。
和太鼓の技術だけでなく、作業療法士、音楽療法士などの資格を組み合わせ、全講師がオリジナルのジャンルを持って広い分野で活動しています。


■当稽古場の郷土芸能継承者

もともと、郷土文化の担い手を育てることを目的としていた稽古場では、地域文化の継承に尽力する研究生を優遇して育成し、団体を引率するための手法も稽古場で学んでいます。
現在では、多くの研究生が和太鼓と同時に郷土の芸能、農業、祭りなどの継承者となり、地域を率いるリーダーとして活躍しています。

足立七海(播州音頭・吉川音頭/加佐踊り/口吉川・加佐)
下地孝幸(播州音頭・吉川音頭/口吉川)
石井香奈子(播州音頭・吉川音頭/口吉川)

西馬祐磨(神出・獅子舞)

笹野唯(三木甲冑倶楽部代表/別所公春まつり)

加納真芸子(播州音頭/神戸市北区淡河)
十場比路子(播州音頭/神戸市北区淡河)